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環境系 [2020/12/26 11:13] moepapa |
環境系 [2021/05/31 02:51] (現在) |
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- | 航空機の単独事故の死者数で世界最多という、恐ろしい伝説的事故です。 | + | ブラック企業の社内環境情報に関するあるある、特徴です。 |
- | 原因で言えば整備不良なのですが、あまりに被害者が多いことや政治的判断による殺人(見殺し)のような要素もあり複雑な事故です。 | + | |
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- | 日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年(昭和60年)8月12日、日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)が群馬県多野郡上野村の山中に墜落した航空事故である。 | + | ===== 社内のいたるところに謎の格言 ===== |
- | 123便は東京国際空港(羽田空港)発大阪国際空港(伊丹空港)行きの定期旅客便で、伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる頃、機体後部の圧力隔壁が破損、垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧操縦システムを全喪失、操縦不能に陥り迷走飛行の末、午後6時56分30秒群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(標高1, | + | ブラック企業の定番で、あるあるというより、 |
+ | これがあったら、そこはまず間違いなくブラック企業だ、というブラック判断の基準のひとつと思っていてください。 | ||
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+ | **社内の壁や机、扉など目につくところに大量に根性論系の謎の格言が貼ってある** | ||
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+ | これはほぼ間違いなくブラック企業のサインです。 | ||
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+ | 「眠るのは死んでからできる」 | ||
+ | 「家はここ」 | ||
+ | 「労基は敵」 | ||
+ | 「365日24時間仕事だけ」 | ||
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+ | 的なもはや何を言ってるのかわからないような標語が社内に貼ってある場合、早急に逃げ出した方がよいです。 | ||
- | 乗客乗員524人のうち死亡者数は520人、生存者は4人であった。この数字は2020年(令和2年)12月時点において単独機の航空事故の死亡者数として世界最多であり、テロ事件などを除いた航空事故全般から見ても1977年のテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故に続く世界2番目の死者数を出した事故である。 | ||
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墜落時の衝撃によって、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほど破壊され、離断した両主翼とともに炎上した。一方、56分28秒に分離した客室後部と尾翼は、山の稜線を超えて斜面を滑落していった。客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速した。このため最大の衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して軽度の損傷にとどまり火災も発生しなかった。これらの要因によって、客室後部の座席に座っていた乗客4名は奇跡的に生還できた。 | 墜落時の衝撃によって、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほど破壊され、離断した両主翼とともに炎上した。一方、56分28秒に分離した客室後部と尾翼は、山の稜線を超えて斜面を滑落していった。客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速した。このため最大の衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して軽度の損傷にとどまり火災も発生しなかった。これらの要因によって、客室後部の座席に座っていた乗客4名は奇跡的に生還できた。 | ||
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+ | ===== 位置情報の混乱による救難活動の遅れ ===== | ||
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+ | 地上からは、群馬、長野、埼玉の各県警が墜落現場の捜索にあたった。上空から米軍や航空自衛隊が山中の炎を確認していたが、墜落現場一帯は江戸時代は鷹狩のため一般の入山が禁じられていたとされる場所で、1963年(昭和38年)営林署が唐松の植林を行った以外は人の立ち入りの無い原生林であった。それに加え、レーダーやTACANの測位位置の誤差、事故当日は月齢25.1の闇夜であり、地上捜索による墜落現場の特定も困難を極めた。 | ||
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+ | 20時21分、長野県警臼田警察署(現・佐久署南佐久庁舎)のパトカーが「埼玉県と群馬県境あたりに黒煙が見える」と通報。21時39分、埼玉・長野両県警のパトカーが三国峠の西北西に赤い煙を発見し、長野県警は12日深夜、墜落現場は群馬県側の山中であると発表した。 | ||
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+ | しかし、氏名不詳の110番通報「長野県北相木村のぶどう峠付近に墜落した」や、日本航空広報が12日22時に発表した「長野県南佐久郡 御座山北斜面(墜落現場から北西10km)」、運輸省はレーダー消失地点の「北緯36度02分、東経138度41分(墜落現場から北約3.7 km)」の他に「御座山北斜面」など情報が錯綜し、複数の位置情報で地上の捜索は混乱した。 | ||
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+ | その結果、消防・警察や災害派遣要請によって出動した航空自衛隊の地上捜索隊、陸上自衛隊の各捜索隊など、地上からの捜索に時間がかかり、21時30分の群馬・長野の陸上自衛隊への派遣要請から11時間30分後の翌朝9時まで現場に到達することはできなかった。 | ||
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+ | 解説書では、TACANの測位は乗務員の土地勘などでも精度が変わると指摘し、12日夜から13日朝までの各航空機の測位結果を表と地図で示した。 | ||
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+ | 海上では、事故当初ドアが壊れたとの情報があり、乗客が機外に吸い出された可能性も考えられたことから、東京救難調整本部の通報を受けた海上保安庁の巡視艇3隻が、駿河湾周辺の捜索を行った。 | ||
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